Wisdom Wizard
〜The fragile routine〜外伝
駅と彼岸花、僕と彼女
学校で嫌なことがあった。別に大したことじゃない。ただちょっと、嫌になっただけだ。
そういう時、最近僕はとある駅に行くことにしていた。帰り際、菫が遊びに誘ってくれたけれど断って。
あいつはいい奴だけれど、学校という小さく閉塞的な社会空間において唯一の友人と呼べる存在だけれど、だからこそ余計にこういう時は一人になりたいんだ。本人の為にも。
その駅は何の変哲もない、小さな駅だ。駅以外に周辺には何もなくて、精々寂れたスーパーが一件あるぐらい。
もちろん、その駅は僕の通学に使っている駅じゃない。学校からも自宅からも離れている。いや、その真ん中にある、と言った方が正しいか。
両方の最寄り駅の真ん中、そこにその駅はある。丁度今頃、9月の中旬にはその真っ直ぐに伸びた線路の両脇にちらほらと朱い花が咲き始めていて幻想的。
彼岸花だよ、と彼女は教えてくれた。もう少ししたらもっと花が咲いて、この一面が真っ赤になると。
知ってるよ、と僕が応えると彼女は少し拗ねた表情になって「そっか」と言った。僕より年上のくせに、なんだか年端のいかない子供みたいだ。
今日も僕は自宅前のこの駅で電車を降りた。そこの寂れたベンチに彼女が居る。年は僕より1つか2つ上だから、高校生と大学生の間といったところか。いや、意味不明だけど。
「よく来たね」
彼女は読んでいた本を閉じて、僕に微笑んだ。
けれど僕は笑うのが苦手だから、
「暇だったから。ついでだよ」
ぶっきらぼうに、会釈代わりの戯れ事を返した。
◆◇◆◇◆
僕は彼女の名前を知らない。彼女曰く、「名前は記号にすぎないから」だそうだ。だから僕も名乗らなかった。なんか、その方がミステリアスで格好いい。
彼女にあったのは一月前だろうか。まだ夏休みだった頃。学校で行われている夏期講習の帰り道、ちょっと寄り道がしたくて駅を降りた。
電車に乗るわけでもなく、誰かを待っているわけでもなく、プラットホームに佇んでいる一人の少女。普段あまり軟派な事はしない僕だけれど、
『――どうして』
『え――?』
『どうして、電車に乗らないんですか?』
つい、声を掛けてしまった。
迂闊だった。今でもそう思う。
きっと、彼女があまりにもあいつに――菫に似ていたから。似ているぐらい、儚かったから。迂闊にも声を掛けてしまったのだろう。
◆◇◆◇◆
「――また、何かあったの?」
「いや、別に。ちょっとした揉め事の類」
「喧嘩?」
「俗にそう言われている」
僕の言い方が面白かったのか、彼女はくすくす笑う。
「殴り合い?」
「見れば分かるだろ」
「確かに。顔、少し腫れているね」
思わず、右頬の傷を隠す。その動作も面白かったのか、彼女はまたくすくす笑った。
「勝った?」
「俺が負けるかよ」
「自信家だね」
「そんなんじゃないって。一人は保健室に連れてかれた。ガキみたいにわーわー泣きながら。高2だっていうのに、だっせぇよな」
「一人?」
「3対1ってこと」
「よく勝てたね」
「弱いから群れるんだよ。一人ずつぶん殴っていけば、楽勝」
殴る真似をして、腕の痛みに顔をしかめる。幸い、彼女に悟られなかったらしい。内心、胸をなで下ろす。
「原因は?」
「え?」
「だから、喧嘩した原因。あるんでしょ?」
「下らない推理小説じゃないんだ。動機なんてどうでもいいだろ?」
「あるんでしょ?」
「・・・・・・・・・」
心の奥底まで見透かされそうな、彼女の瞳。僕は観念して、口を開いた。
「本当、下らないこと。最近俺が調子コイてるとか言って因縁付けてきた上級生を返り討ちにしてやったら、その子分がお礼参りに来ただけ」
「嘘でしょ?」
「嘘なものか。そいつ、リーダーだっていうのに3人しか子分が来ないなんてよっぽど人望がないんだろうな」
「本当は?」
「・・・・・・・・・・」
彼女には勝てない。僕の直感がそう告げた。
「菫が――俺の友人がさ、グループに入っていないんだよね」
「グループ?」
「ほら、あるじゃん? 男でも女でもクラスとか学年とかで群れている、下らないグループが。あれに入ってないんだよ」
今更ながら、学校はクラスで区切られているわけじゃない。その中でも色々な派閥や集団に腑分けされ、みんなそれのどれかに属している。
その最たる物が、グループだ。適当に群れている連中もいれば、ヤバいぐらい結束力の強い奴もいる。今回の連中はヤバい方だ。
ヤバいグループにはそれぞれ暗黙のルールが存在していて、グループ同士で対立もしている。対立しているグループの人間同士は喋ることも許されない。破ったら、暗黙のルールとやらで地獄より酷い目に遭う。
菫は運悪く、その対立している連中の構成メンバーの両方と話してしまい、ややこしい事態になった。普段グループとかでは圏外的扱いだったのが拍車を掛けたのだ。
あいつは抜け目のない人間だけれど、こういう時は迂闊だ。最初は嫌がらせ程度で済んだのだけれど、平然としている菫に業を煮やした馬鹿女達は自分の男をけしかけてきた。
流石にあいつも一応、年相応の女の子。男3人掛かりで襲われれば、為す術もない。菫が連れて行かれる前に僕が奇襲して連中を叩きのめし、現在に至る。
「格好いいね」
「別に。格好良ければ、スマートに解決できた揉め事だよ。俺のせいで、あいつがもっと酷い目に遭う危険性だってあるんだから」
実際、それが心配だった。停学とか退学とか、そんなものはどうでもいい。ただ、彼女のことだけが心配だった。
あいつには、助けてもらったし、救ってもらったから。手を差し伸べて――もらったから。
今回の件は、その恩返しみたいなものだった。ものの、はずだった。なのに――
「・・・・・・いつも、そうなんだ」
「何が?」
「俺のやること。肝心なところで空回りして、結局壊れて破綻する。肝心なときにしょっちゅう故障するんだ」
彼奴の時も、
先生の時も、
壊れて崩れて破綻する。
一度ぐらい、たった一度ぐらい、誰かを救ってみたいのに。救ってもらってばかりじゃ、嫌だから。
なのに、僕は――
「――いいと思うよ」
「えっ―――」
「壊れても空回りしても、いいと思うよ」
にっこりと微笑みながら、彼女は言う。
「わたしは、いいと思う。やらないより、やる方がずっといいと思う。だって、壊れないかもしれないでしょ? この世界に“絶対”はないんだから」
「でも、俺は――」
僕は、絶対だ。
絶対僕の全ては破綻する。
――何故なら。
だって。
僕自身が一番、壊れているのだから。
「――行動出来たら」
「?」
「わたしも、君みたいに動くことが出来たら――」
笑顔で、彼女は言う。
その笑顔は、僕が初めて見る、困ったような笑顔だった。
◆◇◆◇◆
数日後。
別に僕は用もないのに、その駅に降り立った。
この間より彼岸花が咲いていて、駅の両脇を真っ赤に染め上げている。
ホームの寂れたベンチ。いつもの場所に彼女がいる。
いる――はずだった。
「どうして―――」
そこには、誰もいなかった。ペンキのはげた木製のベンチがただ無機質に存在しているだけで。
「・・・どうして、」
僕は同じ言葉を繰り返す。
だって、彼女は――
「――ゴースト、だからか?」
「!?」
振り返る。反射的に、振り返る。
そこにいたのは一人の男。9月でも、少し暑さが残るこの時期に、冬に着るような厚手の黒い外套を身に纏った奇妙な男。
「この国の言葉では霊魂や幽霊と言ったところか。死者の記憶が残留し現世に留まり続ける現象だ。49日もすれば、記憶は徐々に風化し消えていく」
「アンタ、何言ってるんだよ――」
「しかし面白い。本来ならば記憶だけの存在故、対話は不可能だというのにも関わらず貴様は確かにゴーストと会話した。実に不明瞭。それ故に面白い」
「馬鹿言うな、彼女は――」
記憶の残留なんかじゃない。
確かにここに存在し、僕と同じ時間を共有してきた。
断じて、記憶の塊なんかじゃない。
「それは不明瞭な現象に対する貴様と吾輩、双方の価値観の違いだ。吾輩にとって、記憶は記憶でしかない。それだけだ」
「アンタ――」
「しかし、」
外套の男は言葉を句切る。
「その記憶、貴様が忘れぬ限り無意味に消えることはないだろう」
「っ―――――!?」
「その記憶と関わった時間、共有した時、それは全て貴様の糧となる。違うか?」
「・・・・・・」
僕が語って、彼女が笑って。
彼女の言葉に、僕は照れを隠しながら応えて。
そういう時間は、
彼女と過ごした時間は、
無駄な時間でも、無意味な存在でもない。
彼女はそこに、確かに存在した。
『わたしも、君みたいに動くことが出来たら――』
彼女に何があったか、僕は知らない。
けれど、僕は知っている。彼女が確かに存在したことを。
「・・・アンタ、一体何者なんだ?」
「サマエル――いや、」
頭を振る。
「ウラド・フォーツェン。しがない魔術師にして、このセカイの不実を正す者だ」
「魔術師――」
「貴様も同じだろう? その眼、その手、それは全て我ら夜の帳に生きる者の持ち物だ」
「・・・・・・」
「吾輩も貴様に問おう。貴様の名を」
静かに、僕は答える。
「緋遙――緋遙 陣」
「了解した。緋遙 陣、吾輩と共に行動する気はないか?」
彼岸花が風に揺らぐ。
「別に――構わない」
僕は進む。
『わたしは、いいと思う。やらないより、やる方がずっといいと思う。だって、壊れないかもしれないでしょ? この世界に“絶対”はないんだから』
彼女の言葉を信じて、“絶対”のない世界を信じて、
僕は、僕の世界で歩き出す。
Flowers for innocent days is the END...